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紗幸(さゆき) [芸者・オーストラリア]
オーストラリア・メルボルン出身。15歳のときに交換留学生として来日。高校、大学を日本で卒業し、その後、英国オックスフォード大学に進学。社会人類学の博士号を取得する。2007年より芸者としての修行を始め、同年12月お披露目。芸者としての自身の経験を映像に残し、学者の観点から芸者の正しい姿を世界に紹介したいと考えている。 |
紗幸(さゆき) [芸者・オーストラリア]東京は浅草。日本人が忘れかけている情緒風情をいまだ守る街で、日本史上、初めて花柳界の扉を開いた外国人女性に話を伺った。社会人類学者としての顔を持ちながら、2007年12月「紗幸」の名で芸者デビューをした彼女の目には日本という国がどのように見えているのだろう。

芸者に対する間違った認識を正したい 東京は浅草「懐石 瓢庵」の一室に通された私たちを待っていたのは、背筋を伸ばし畳に正座をする着物姿の紗幸さん。 流暢な日本語で話し始めた彼女は15歳のときに交換留学生として来日した。その後、日本の高校、大学を卒業した彼女は日本企業に就職し、ジャーナリストとして時間を過ごす。さらには英国オックスフォード大学に進学し、MBAを取得。社会人類学の修士を取得したという才媛だというから恐れ入る。それがなぜいま芸者の道を? 「芸者──Geishaの存在自体はだれでも知っています。ただ、凝り固まったイメージが先行して、日々の生活や心の内面を深く掘り下げた西欧人はひとりもいませんでした。それらを社会人類学者である自らの目で確かめるためにこの世界に入ることを決意しました」 紗幸さんが花柳界に入ったのは、人から人の紹介を繰り返し、今回の取材場所である「懐石 瓢庵(ひさごあん)」で仲居として働くことから始まった。当初はお座敷に呼ばれた芸者衆の立ち振る舞い、所作を眺める毎日を過ごしていたそうだ。その後、本格的な稽古を始めたのが2007年4月のこと。 「昔は子どものころから置屋(芸者を抱え、求めに応じて茶屋・料亭などに差し向ける家)に入って修行を積み、という流れが一般的だったようですが、いまはお披露目(芸者としてのデビュー)まで1年ほどかけて芸を磨きます。とはいえ西洋人として初めてのことですし、特別扱いされるわけでもありません。けっして楽な道のりではありませんでした」 長く日本で暮らし、生活・風習になじんでいた彼女に「一番つらかったことは?」と聞くと「……正座ですね」とポツリ。「芸者衆は座布団や椅子を使いません。最初は長時間の正座がなにより一番つらかったです。しきたりや習慣よりもね」と笑う。 歩き方、座り方、立ち方、着物の着付けに始まり、会話、茶道、太鼓、日本舞踊などを学び、独自の芸として選んだのは竹笛。いまも1日数時間は稽古を続けている。 「口では説明できない細かなしきたりがこの世界にはたくさんあります。教科書も楽譜もない世界ですから師匠から教わったものは五感を発揮して会得するしかありません。口伝でなければ伝わらない技や想いが、芸者の世界には多く存在します」 
若者が着る浴衣や甚平も新しい文化のひとつです 2007年12月、芸者としてのお披露目を果たした紗幸さんは、現在、芸者の世界を映像で残すプロジェクトを進めている。このドキュメンタリー映画は忙しい日々の合間をぬって芸者としての自らの生活を撮影するもので、完成後は母国オーストラリアを含む世界数ヶ国で公開の予定だという。 戦後の日本に西洋文化が浸透していくにつれ、元来の日本文化が日本人の中で薄まっていったことは否めない。ただ、昨今の“和文化再注目”の動きを紗幸さんは好意的に見ている。 「最近は若い人たちが浴衣や甚平で街を歩いていますよね。すごく素敵なことだと思います。古くからあったものの魅力に気づいた人が、それを新しい文化として広めていくわけですから。私のような存在が、日本の文化を深く知る、さらには自分でたしなむ日本人が増えるきっかけとなればうれしいです」 最後になるが、そもそも“芸者”について私たちはどれぐらい知っているのだろう。辞書をひくと芸者の項には『歌舞・音曲を行って酒宴の席に興を添えることを職業とする女性』とある。 そう、芸者はひとつの職業でありただの様式美ではない。歌や舞踊、三味線などの伝統芸能を持ち、お客さんが心から楽しめるような空間を作り上げる、エンターテイメントとサービスのプロフェッショナルが芸者なのだ。 「芸者とはすなわち“芸を持つ者”のこと。芸は一生かかって追求するものです。『ここで終わり』といったように自分でゴールを設けてしまうことは避けたいですね。まずは一人前の芸者になることが、この世界に入ることを応援してくれた方々への恩返しになると考えています」 TEXT:筒井健二(KENJI TSUTSUI) PHOTO:三川ゆき江(YUKIE MIKAWA) |